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河辺町史
永正元年(1504)になると黒川肥後守が当地方を支配し、永正3年(1506)には畠山重村が台頭、自らを豊島玄蕃頭と称し、その支配地域を豊島群と呼んだと伝えられています。
本町の現在の姿に近くなるのは明治に入ってからのことで、明治22年に岩見、三内の両村が合併して岩見三内村となりました。さらに和田は地域7か村を併せて和田村に、そして豊島は同じく5か村を合併して豊島村となり、和田村は昭和10年の町制実施で和田町となったのです。
経済的にも、また地理的、文化的にも密接な関係にあるこの2か村1町がそれぞれの町村を廃し、新たに河辺町となったのは昭和30年3月31日のことで以後現在に至っています。